春、講演で県内の中学校にお邪魔した際、
こんな中3の生徒たちの切実な声を多く耳にしたのです。
それは、
「今は我慢しければならないということはわかっているけど、体育祭や修学旅行がなくなりそうで悲しい…。」
という言葉。
「きっとね、君たちの周りにいる大人たちが、一杯考え、「何らかの形」にしてくれるはずだから、待っていていいと思うよ。」と、そんな風に伝えました。
自分が校長だったらきっとこんなスタンスでいるだろうな…と思いながらです。
それを伝えた時の、中3の生徒たちの、ほっとしたようなニッコリとした顔が今でも忘れられません。
その後の世の中、
一時は中止された春の甲子園大会が、ああいう形で実現されました。
高校野球の県大会も、形を変えて開催されました。
中総体も、全中、県大会は中止されましたが、各地区では形を変えて開催されました。
中学校地区駅伝大会も、形を変えての開催 等々。
相手が感染症なので、一番カンタンな決め方は「しない」という選択なのかもしれません。
ですが、教育関係者が、なぜこのように生徒が絡む行事・イベントの開催に知恵を絞り、多くのエネルギーを費やしながら、形を変えてまで実現しようとするかと言えば、
中3や高3の生徒たちの
「今しかない時間」を、
少しでも大切にしてあげたいという願いを抱いているからだと思うのです。
正に、先生ならではの感覚です。
まもなく9月。
卒業学年にとって最後の体育祭も修学旅行も、きっと、多くの学校ではこの秋に予定をスライドさせたのではないでしょうか。
今頃は、コロナの感染状況を横目で見ながら、そんな行事をどう具体化するか思案に暮れている頃かと思います。
感染の状況を鑑みつつという大前提は付きますが、どうか、それぞれの学校・市町村では、考えられる最大限の感染症対策を講じつつ、
彼らの「今しかない時間」をどう充実させてあげるかという視点で腹を括っていただき、
「どうすれば実現できるか」という方向で、多くの大人や関係機関が知恵を絞ってくれたら…と、そんなことを願ってしまいます。
ないとは思いますが、隣の町がこうだからとか、県内の大きな都市はこう決めたからそれに準じようといったような、根拠を持たない「横並びの感覚」を排しながらですけど。
この秋、
全国的にコロナの猛威が落ち着くことを切に願っておりますし、
それぞれの学校の、どんな形が見えてくるのか、
心配もし、期待もしながら、見つめていようと思っています。
先生方、がんばって下さい。
物ごとの決めようは、
「する」か「しない」か、0か100、だけではないように思いますし、
やり方、方法は、きっとあるはずだと思うのです。
(つぶやき)
1号の通う小学校の校舎が私の部屋のベランダから遠くに見えるのです。開催が心配された運動会も9月の下旬に開催されるようであり、本人は勿論ですが、若いパパ、ママも楽しみにしているようです。きっと、先生方の様々な工夫や努力があっての開催なのだろうなぁ…と、頭が下がる思いであります。