9.11 震災から9年半。名古屋という町・人。
今日は、
東日本大震災から9年半経過した日となります。
もうこんなにも時間が経ったのかと、過ぎてしまえば短いような、けれど、長かったような、何とも複雑な気持ちになります。
ですが、どんなに年月が経過しようとも、ずっと心に残っていることは、震災の悲惨な出来事やその後の苦悩ということよりは、多くの人たちに支えられ、助けてもらったという実感と感謝の気持ち。
「人って何てありがたいんだろう…。」と、心の底から感じたことは、何年経っても忘れることはありません。
きっと、この町に住む誰もが、同様の気持ちを抱いているはずです。
そんな気持ちが、自分の中で徐々に「何か恩返しができないか」に変化していき、全国で講演をする原動力になったようにも思います。
震災から9年半という節目の日、地元新聞の片隅に、こんな記事を見かけました。

(記事写真は、9/11 東海新報)
記事を読み、子どもの心に感激しつつも、どうしても当時のことが思い出されてしまうのです。
当時のこの町の子どもたちは、
・家を流されるのはあたりまえ。学用品・日用品等、全て流され、着の身着のままの子が多数/・市内では多くの大人が津波の犠牲となり、結果、孤児・遺児となった子が信じられない人数にのぼる。/・避難所の体育館や公民館で数ヶ月暮らす。勿論、そこから登校/・被災した学校もあり、一つの校舎を二校で合同使用/・学校インフラも被災。水道・トイレは使えず、水は毎日運搬配布、トイレは仮設トイレ設置。消毒は消石灰で/・心にダメージを受けた子が多数。これが最大の課題。/・校庭には仮設住宅。運動ができず。/・学校行事も全て中止/・教職員も被災。疲弊する日々の連続 etc...
と、こんな状況でありました。
勿論、春に予定していた中学校の修学旅行も中止となったのですが、正直に言えば、町全体が、学校だ、修学旅行だと、そんなことを言っている場合ではなく、「明日をどう生きるか」に必死だったように思います。
そんな子どもたちの状況を耳にした名古屋の皆さんが、
「修学旅行ができなかった陸前高田市の中学生を名古屋に招待しよう!」と、
名古屋で募金活動を展開し、市内の中学三年生を名古屋に招待してくれたのです。
それが、記事の中にあった「絆交流」のスタートであります。
現在の「絆交流」は、夏には名古屋の中学生が陸前高田市を訪問、冬には、陸前高田の中学生が名古屋市を訪問し、子ども同士が素敵な交流を深め続けています。
世の中には「形骸化」という言葉があります。
物事がスタートした経緯や思いが、いつの頃からか忘れ去られ、形だけが残っていく。
今回の新聞記事を読み、中学生の心の中に、当時の思いが脈々と流れていること、
そして、それが繋がり続けていることが、とても嬉しかったのであります。
名古屋との「絆交流」は、単なる交流に留まらず、
子どもたちの心や、生き方にも刻まれているようです。
(つぶやき)
当時の写真を引っ張りだしてみました。空港ではこんな歓迎を受け、別れ際には名古屋の皆さんと涙々でのお別れ…。子どもたちの心の深い部分にあたたかなものが刻まれたように思います。そして、私にとっても名古屋はとっても大切な町となりました。
名古屋の人たちに、どうしても感謝を伝えたく、当時作った歌が、ここにある「あなたの手」という曲です。 ♪「あなたの手」
本日は名古屋市のことのみを書きましたが、当時、子どもたちは、全国多くの地域から声をかけていただき招待を受けたのです。そしてどの地でもあたたかく迎えていただいたのです。

