♯その日の気分

♪ お気楽・徒然・心のままに ♪

8.21 憤りのようなもの

 

今日のブログは、

うまく心が整理できず、

文章も、きっといつも以上に支離滅裂になりそうです。

 

「パラは教育的価値が高いから」 

 

と、こんな言葉を耳にしました。

 

本当にその通りだと思います。

オリンピックにしろ、

パラリンピックにしろ、

その教育的価値は

それはそれは大きいものがあると私も思いますし、

全力で競技に向き合う選手たちの姿を

多くの子どもたちに観てほしいと思っています。

 

けれど、

何故か、

今回のこの言葉に

大きな「違和感」を感じてしまうのです。

 

オリにしろ、パラにしろ、

アスリートの皆さんを応援する気持ちは強いのです。

そして、その生き様も本当に素晴らしいと思っているのです。

 

ただ、

こんなにも危機的に感染が広がっているのに、

その開催が「今なのか?」という疑問、

そして、

感染拡大の影響で「無観客」と決めたはずなのに、

どうして子どもを?という、

そんな素朴な疑問が心の中から払拭されないのです。

 

世の中の政治家さんの、

まずは「結論ありき」の

耳障りのよい「後付けの理由」に、

もう辟易している自分もあります。

 

千葉で起きた悲しい出来事を知りました。

 

コロナに感染していた妊婦さんが産気づき、

受け入れ先の病院が見つからず、

出産した新生児が亡くなったという悲しすぎる出来事。。

 

大きな衝撃を受けました。

 

もし、私たち国民の暮らしの要素を

三角形の階層分けで図式化するとすれば、

一番下にある最低限且つ最大限大切にされなればならないことは、

「国民の生命を守る」というもの。

その上の段階に

「豊かな教育」等が存在しているように思うのです。

 

こんな小さな新しい命すら守れないこの国の現状の時に、

教育というものを引き合いに出し、

「教育的価値が高い」なんていう理屈付けをしないで!と、

深い悲しみと共に、憤りすら覚えるのです。

 

政治家の

その場しのぎの

耳障りのよさそうな言葉には

もう辟易なのです。

 

多くの自宅療養の人たちも含めて、

人の命を

どうか本気で守ってください。

どうか本気で守ろうとしてください。

と、

すがるような思いで願ってしまいます。

 

もし、日本の感染爆発のこの状況下、

「教育的価値」を語るとするならば、

「人の命を守ることを最優先にした大人の行動」を

子どもたちに見せるべきなのではないのかと。

 

支離滅裂、お許しください。

 

今日の空は

どんより曇り空であります。

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