6.24 「こわいをしって、へいわがわかった」
昨日の沖縄全戦没者追悼式。
その様子が夜のニュースで流れました。
その映像の中に、
「平和の詩」を朗読する小学2年生の女の子の姿が映り、
朗読の一部分が流れただけなのに、
心が震え、涙が溢れてくる。
「こわいをしって、へいわがわかった」
小学2年生の素直な心と言葉がそこにありました。
涙が溢れたのは、
戦争とか、平和とか、
そういったこともそうですが、
「子どもにとっての母親の存在」のこと。
母親ってすごいな…と。
母親の
慈愛に満ちたあたたかな言葉だったり、
時にそれが叱責の言葉であったとしても、
その根底には愛情が溢れていて、
母の発する言葉の奥には、
その子を見つめる母の視点があり、
どんな視点でその子を見つめるかで、
出てくる言葉もまた違い、
子に伝わるものもまた違ってくる。
こんな短い詩の朗読でも、
この子とお母さんの日常が、
丸ごと見えるようでありました。
素敵な詩、
素敵な感性、
素敵な言葉、
素敵な発表、
素敵な心、
そして、
垣間見える穏やかで温かな母子の関係。
僅か数分間のニュース映像に
心打たれたのであります。
(つぶやき)
このニュース映像動画の2分10秒付近に、この子の「平和の詩」の朗読があります。
小さい子が使う言葉とは、その子が生まれてからずっと獲得してきたものであり、その多くは母親から獲得したものと言われています。併せて、母親と同様の情緒もまた獲得していきます。ヒステリックな荒い言葉の中にいた子はそんな言葉とそんな情緒を獲得しますし、安定し優しく穏やかな言葉の中で育った子は、同様の言葉と情緒を獲得していきます。子どもの今見える姿から、「言葉遣いを直しなさい。」だけではきっと何も変わってはいかない。もっと深いものがそこには存在しそうです。言葉と情緒、そして母親。この子のお母さんの姿が、目に浮かぶようであります。