コロナで辛いこともあったろうに、
夏の甲子園でのはつらつプレーや、
メジャーリーグでプレーする大谷選手の
ひたむきに向き合う姿に清々しさを覚え、
どこか生きる勇気のようなものをもらえる気がしています。
そんな中、
悲しいニュースも多々ある訳で、
今日は、ボヤキにも似たものを、短文で。
「教訓」を生かす。
「ここは大丈夫」とか、「自分だけは大丈夫」といったようなことを「根拠のない自信」と言うそうですが、
自然災害において、何事も早目早目が肝要かと。
「まさか、ここがこうなるとは…。」とは、
事が起きた後のインタビューでの言葉。
「教訓を生かす」
口で言うほど簡単なものではないようです。
今日は、終戦記念日。
現代の私たち、戦争を、どこかゲームのように見てはいまいか。
「戦争=人が命を落とす」ことなのに。
「風化」
どんなことでも時間の経過と共に風化していくのはあたりまえ。
けれど、現在進行形のものを意識の中から風化させてはならないのではないか。
今現在、ウクライナ人もロシア人もその多くの命を落としている。
そして、そのそれぞれに家族がある。
そんな「今」に関心を持ち続けたいものです。
こんな悲しみや悲劇、惨劇を作り出している人物は、一体、誰なのか?
きっと、その政治家と取り巻きたちは、
毎日、安全な場所で、美味しいものを食べ、快適に暮らしているのでしょう。
「あぶりだし」
ことのきっかけはショッキングな出来事。
その行為は許されないことなのだけれど、
結果として、私たちの知らなかった水面下の世界があぶり出される。
こんなズブズブの関係だったのか…という驚きと落胆。
政治って、こんな世界なのか、
政治家って、こんなレベルの人種なのか。
「崇高」という言葉が遠くに霞みます。
悲しいかな
「不遜」
こんな言葉ばかりが心に湧いてくるのです。
「行動制限」
外側からの「行動制限」は、国や自治体が発出するもの。
もしかして、内側からの「行動制限」というものもある?
これは、一体、誰が発出するもの?
内側からのものには「相手意識」も溢れているように思います。
きまりがないと動けない子ども、
きまりがなくても自ら考え行動できる子。
学校教育で目指すのは後者の子ども像。
大人って、昔からこんなにも稚拙だっただろうか…。
なぜ、そうするのか。
「なぜ」がなく、行動のみを求めることが多し。
「なぜ」がわかると、行動は変わっていくのに。
「論破」
これは意見や考えを言い合い勝負事のように相手を打ち負かすことではなく、
相手を「納得」させることなのではないのか。
勝ちたいがあまりの「論点のすり替え」は、見苦しく、愚の骨頂。
すみません。
「愚痴愚痴の短文」の長文ブログとなってしまいました。
(つぶやき)
わが家の住人は皆生きる力に溢れており、常日頃から、バタン!バタン!と、ドアの開閉の勢いが凄まじいのです。最近、リビングのドアにこんな貼り紙がされました。(隣は退院したばかりのおふくろの部屋)子どもたち用に作った貼り紙なのではありますが、もしかしたら大人の方がわかっていないかもしれません。苦笑