今日の気分は、
至って「のんびり」気分です。(いつもですけど…。)
今日は、勤労感謝の日。
ということで、私が「勤労していた時代」のことを少しだけ書きますね。
それは、「通信表(通知表)のコメント」のこと。
二学期制の学校は別として、そろそろ学校では学期末の準備に入り、期末テストづくり、テストの採点、評価・評定、冬休みの計画づくりや生徒指導、更には、通信表の作成や三者面談と、普段の授業、部活にプラスして、こんなお仕事に取り組み、11月下旬から12月中旬まで、それはそれは慌ただしく時間が過ぎていきます。
そんな中、学級担任が特に心を砕き、時間をかけて取り組むのが、通信表にある「担任コメント欄」であります。
学級担任をしていた時代、その子の成長の様子や頑張ったことをどう伝えようか…と、毎晩、遅くまで考えていたように思います。
そんな時、心がけていたことは、少しでも「肯定的な言葉」で伝えたいなということ。
だって、その方が、子どもは嬉しいじゃないですか。
例えば、
少々、気の弱い子だったら、慎重にじっくり考える子とか、
少々、落ち着きのない子であれは、無邪気で明朗快活な子とか、
そんな書き方をしていたように思います。
勿論、その後段には、もっとこうなれたら尚良いね!を添えてですけどね。
実は、こんな考え方のヒントをくれたのは、先輩教師の一言。
「子どもの行動には " 意義づけ、価値づけ " をしてあげなさいね」という、そんな言葉でありました。
そして、この「担任コメント」、コメントを書くときだけ肯定的に…といかないもので、普段からそういう「視点」でその子を見つめていないとなかなか書けないものなのです。
ということもあり、自然に、「良さを捉える」視点で子どもを見つめる自分になっていったような気がしています。
子どもでも大人でも、自分を「肯定的に」見つめられていると安心できますよね?
また、見つめる側からすれば、いつも肯定的に見つめていれば、普段かけるちょっとした言葉も違ってきますものね?
と、こんなことを思いながら、通信表コメントに向き合っておりましたし、日々、学校で「勤労」していた自分であったように思います。
そんな中、私がもう学級担任を持てない年代になった時、
「リフリーミング」という考え方(心理学)に出会ったのです。
あぁ…、これって、自分が普段心がけていたことと同じじゃん。とか、
そうか、こういうことだったんだぁ…と、ちょっと嬉しくなったのでもあります。
「褒めて伸ばす」、「認めて育む」。
学校とはそういう場所ですものね。
更に、この「リフレーミング」という考え方は、言葉の置き換えや捉え直しという狭い意味のことだけではなく、人生の出来事のとらえ方、生き方のとらえ方など、とても深い意味を持つ考え方のようでもあるのです。
(興味のある方は、ネットで検索してみて下さい)
昨今のニュースを見るにつけ、学校の子どもたちや、社会で仕事をしている若者たち、そして、中高年に至るまで、とても「生きにくい時代」「息苦しい時代」になってきているように感じるのです。
そんな時、「リフレーミング」で他者を見つめつつも、自分や自分の周りに起きた出来事、自分の人生を「リフレーミング」しながら、少しでも心軽く、少しでも自分らしく、よりよき人生を歩んでくれたらな…と、そんなことを思う「勤労感謝の日」の年寄りであります。
おしまい。
(つぶやき)
私を知っている方、こんな私でありますが、どうか私を「リフレーミング」で見て下さいね。お願いします。^^