今日の気分は
心の中で「思いが交錯する」日でありました。
1.17、「阪神淡路大震災」から25年、
心の中で、いろいろな思いが交錯します。
25年前のこの日、私たち家族は岩手県内のスキー場のホテルで朝を迎えました。
目覚めてすぐ、TVのスイッチを入れた途端、飛び込んできた映像は、燃える神戸…。
「えっ?これは、現実!?」と、その映像を見た時の衝撃を、今でも鮮明に覚えています。
9年前、私たちは、東日本大震災に遭い、全国多くの人たちに支えていただきました。
そんな中、年月がかなり経っても、ずっと支援に訪れてくれる人たちの多くが、神戸・関西方面の方々でありました。
ある時、「どうして、何年も経っているのに、こうして足を運んでくれる?」と、
そんなことを尋ねたことがありました。
すると、返ってきた答えは、
「恩返しなんです。」と。
その言葉を聞いた時、自分自身、とっても恥ずかしい気持ちになったのです。
阪神淡路大震災当時、支援募金はしたように思いますが、その後、
遠い関西の地で被災した多くの人たちのことをずっと思い続けていただろうか…とか、
阪神淡路の震災を、どの程度の期間、記憶の中に留めていただろうか…とか、
当時のわが身をふり返り、そんなことが頭を駆け巡ったのです。
正直に言えば、「自分には関係のない、遠い地での出来事…。」
そんな程度に思っていたように思います。
人は、体験して初めてわかることもある。
「東日本」を体験して初めて、
当時、関西で被災した多くの人たちの悲しみや苦悩、焦りや憤り…等々の「人の心」、
そんなことが、少しだけわかるような気がしています。
時間がいくら経とうとも、決して消えることのない深い悲しみ…。
大切なあの人を失った、大きな喪失感…。
毎日思う「会いたい」という気持ち…。
あの時、こうしておけばよかった…という後悔や苦悩…。
きっと、25回目の今日も、
「あの日」のことが、昨日のことのように思い出されているはずです。
だからこそ、願ってしまうのです。
日本中、どこでも、同じような悲劇が起きてほしくない…と。
25年前に犠牲になられた多くの人たちのご冥福を、改めて、お祈りします。
また、「その後」を必死に生きてきた多くの人たちに、
これからも、「少しでも穏やかな暮らし」が続くことを願います。
災害の最大の悲劇は、
「人が命を失う」ことです。
(つぶやき)
写真は、神戸の「1.17希望の灯り」から分灯された「3.11陸前高田希望の灯り」です。多くの人たちの願いや祈りが込められたものです。
明日は、大学入試センター試験。受験生諸君の健闘を祈ります。神様、どうか天候だけでも受験生に味方してください。