♯その日の気分

♪ お気楽・徒然・心のままに ♪

6.30 「改心」

後でいいや…、もちょっと後にしよう…と、

ずっと延ばし延ばしにしていたこと。

 

本日、紹介状を持参し、検査予約のため地元の県立病院へ。

 

コロナ禍のご時世でもあり、マスク姿で廊下を歩いていると、

同じくマスクをしたおばあちゃんが、ジッとこちらを見つめているのです。

 

ん?と思っていると、

「校長せんせーですよね?」と。

なんと、

私が勤務した中学の校庭仮設住宅に住んでいたおばあちゃんだったのです。

 

「マスク顔なのに、よくわかりましたね〜」と私が言うと、

「全然変わりませんね〜」とおだてられ、

その場で暫しの「思い出話劇場」の始まり、始まり〜。

 

少々長い思い出話となってしまいますが、

震災3年目当時、校庭には140戸程の仮設住宅が建ち並び、多くの人たちが暮らしておりました。勿論、そこには、多くの中学生家族も住んでいたのです。

仮設住宅に住む人たちは、中学生たちから運動場を奪ってしまっていることに心を痛めており、子どもたちに申し訳ない申し訳ないと言いながら、日々暮らしておりました。

また、子どもたちは子どもたちで、学校のチャイムがいちいち鳴るのは、きっと仮設の人たちがうるさく思うに違いないということで、チャイムを一切止めノーチャイムで一日の生活を送っておりましたし、屋外への放送は一切なしにもしておりました。

一言で言えば、多くの制限や我慢を強いられる中、大人も子どもも、震災という不幸な出来事を丸ごと受け止め、その中で、それぞれが思い合い、できる最善を探しながら生きていた時代だったように思います。

私はと言えば、学校の校長室は勿論ありましたが、仮設住宅敷地内にある「集会場」に足繁く通い、お茶をご馳走になりながら、そこに暮らす人たちの仲間にも入れていただいたのです。

極端なことを言えば、第一校長室は学校、集会場は第二校長室のようになっていたのです。ですので、校長室に私がいないと、集会場に連絡が来たものです。笑

 

そんな時代に知り合ったのが、今日、病院で再会したおばあちゃんだったのです。

いやぁ〜、嬉しかったですし、おばあちゃんの孫たち(当時中学生)の今(上の孫は大学院を目指し中、下の子は大学受験)も話してくれ、とても懐かしくもあたたかくなるひと時でありました。

 

そこで私は決意したのです。

病院はどこか敬遠してしまい、できることなら行きたくない行きたくないと駄々っ子のように思っておりましたが、

こんな「ありがたい偶然」があるのなら、自分の心を変えよう!と。

これからは、積極的に、自ら進んで、躊躇することなく、病院に突入します。

本当です。

 

ちなみに、7/13が予約日となりました。

皆さん、県病で逢いましょう!

 

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