♯その日の気分

♪ お気楽・徒然・心のままに ♪

7.30 コロナに思うマクロとミクロ。

コロナ感染者がずっと0だった岩手県でも初のコロナ感染者が出たと、

昨夜、NHKのトップニュースで伝えておりました。

これが、「ト、トップニュース?」と目を疑いましたが。

 

今の日本の状況を鑑みた時、

大都市圏での感染者の激増、

そしてまた、4連休とかGoToとか、日本列島、人が「かくはん」されるような状況から、

岩手での感染もあたりまえのように思いましたし、

今回、岩手で初の感染者が出たという視点よりは、

国内にどんどん感染が広がっているという風にとらえた方が正しいのかもしれません。

 

これまで国が打ち出してきた施策を何となく眺めてみた時、

ある時は「後でアクセルを全開にするから、今はとにかくブレーキを」と言いつつ、

地域毎に感染の状況が全く違っているにも関わらず、

ある日突然、全国一律に急ブレーキを踏んでみたかと思いきや、

(こんな中で、多くの子どもたちも保護者も我慢を強いられ卒業式だって我慢したはず。)

これだけ感染が拡大してきている昨今であるのに、

GoToだの何だのと、「人のかくはん」に旗を振ってみたりと、

「この国は、一体、どこに行くの?」と、そんなことを感じてしまいます。

 

いろいろな考え方や視点の中に、

「ミクロ」「マクロ」というものがあります。

 

「ミクロ視点」とは、ある意味、地を這う「虫の目」。

目の前の小さな出来事を直視し方策を考えていくという視点。

もう一つの「マクロ視点」とは、空を飛ぶ「鳥の目」。

空の上から、出来事全体を大きく見つめ実態を把握し今後の方向性を探っていくというもの。

 

この二つの視点があって、物事はうまく進んでいくのだそうです。

 

私たち多くの庶民、国民は、「ミクロ視点」から、

三密を避けるとか、手洗いに心がけるとか、不要不急の外出は控えるとか、

精一杯の我慢や対策をずっとしてきているように思うのですが、如何ですか?

 

ところが、

「マクロ視点」で国全体の舵取りをするはずの偉い人たちが、

どこか「えっ?」と思うようなことを打ち出し、

ある意味ちくはぐ感も感じ、

「迷走」しているようにも映るのです。

 

国の「迷走」?

こうでなければいいな…と、切に願います。

 

迷走は、時に、犠牲者を多く出してしまいます。

犠牲者とは、

小さな幸せを守るため日々必死に我慢している人たちへの感染、

感染した患者さんとその家族の苦悩、

医療機関に従事する多くの人たちの苦労と苦悩、

もし、医療が崩壊することとなれば、社会的弱者と呼ばれる人たちにも影響が及びます。

 

国が「迷走」していないことを信じつつ、

私たちは、これからも、

ミクロ視点で、できることを精一杯努力していきたいものです。

 

言うまでもなく、

感染した人を蔑視したり、口撃したりすることは、

ナンセンス以外の何ものでもありません。

 

(つぶやき)

ミクロとマクロって、人生を生きる上での「生き方」にも通ずる考え方のように思うのです。人はいつも自分の内なる目線で生きています。けれど、時には、遥か空の上から眺めてみる「鳥の目」で、自分や自分を取り巻く家族、自分の世界を見つめてみる。こんなことも大切なのかもしれません。もしかするとこれが、「よりよく生きる」ということに繋がるのかもしれません。

本日の写真はある雨の日の1号の下校シーン。親に内緒でのアップです。ミクロ視点は、今の目の前の出来事から褒めたり励ましたり叱ったりすること。マクロ視点では、この子を小学校6年間で、どんな人たちと心を繋ぎ合い、どう育て、どう育もうかという視点とでもなりましょうか。すくすくとどんどん大きくな〜れ!

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ランドセルの横には「熊よけの鈴」が。いつもカランカラン鳴らしながら帰ってくるのです。