うっ…、痛っ…。昨日よりも強い筋肉痛。。
(二日後にくるってことはやっぱり若くないんだな…と苦笑い)
と、少々ほろ苦い朝を迎えました。
昨今、急激に感染が拡大している新型コロナウィルス。
私の住むこの町では、未だ感染者は出ておりませんが、
ここ岩手でもコロナが激増中であり、とても心配されるところであります。
そもそもコロナっていつ頃から始まったんだっけ?と、ネットで調べていたら、
日本経済新聞のページにたどり着いたのです。
そのデータの推移を見ながら、何となく思ったことは…。
「コロナウィルスは飛沫で感染する」という大前提の下、
「世界」という括り、且つ、ウィルスに感染した人を「点」として捉えてみると、
◆このウィルスは中国の武漢で確認され、まずは武漢で感染が広がった。
◆その後、「春節」という中国の長いお休みがあり、多くの中国人が世界中に出かけた。世界各地に点が散っていったということになるのかも。(春節は2/14〜?)
◆世界各地に散った点が、それぞれの地域で人と接触し、その地域の中で新たな点を生んだ。
◆その新たな点は、地域の中で更に新たな点を生み出し、新たな点が新たな点を生み出すということを繰り返していった。
◆各国の新たな点は、旅行やビジネスを問わず、国境を超えた人の往来の中で、世界各地に散り、そこでまた新たな点を生み出す。
◆それぞれの国では、徐々に点が点を生み出し続け、国をあげて感染防止に取り組む。
◆そして、今。
と、素人ながら、こんな感じの流れだったのかなっ?と理解したのです。
● 点が散る。
・点が散る要因は、「人の往来」(飛沫感染だから)
● 散った先で点が増える。
・同地域で点が増える要因は、「人との接触」(飛沫感染だから)
と、簡単にまとめれば、こういうことかと思うのですが、
まっ、当たり前といえば、あまりにも当たり前の話でもあります。
更に、見落としてはならないことは、写真の左上の数字。
本日11/25時点で、140万人を超える人がコロナで亡くなっているという事実。
きっと、悲しいかな、まだまだ増え続けるように思うのです。
上記に書いたことは、「世界という括り」の中でのこと。
これを、「国内という括り」「都道府県内という括り」にしたとしても、
点、散る、増えるの話は、きっと同じような仕組みで起きている。
Go-toは、トラベルにしてもイートにしても、人の心をとてもくすぐります。
ですが、同時に、人の往来 や 接触 を促す施策でもあります。
春以降、自分自身にずっと我慢を強いてきた私たちからすれば、
かなりお得に旅ができる、お得に美味しいものが食べられる等、
こんな魅力的なことはありません。
そして、この機会に・・・・と、誰もが思うはずです。
「ずっと我慢してたんだから、もう行ってもいいよね!?」と。
更に、くすぐられた心からはこんなフレーズも出てきそうです。
「自分はうつらないようにするから大丈夫!」
結果として、「心の緩み」も生まれ、
「油断」と「不用意な行動」として表れてくる。
そんな心の緩みの感覚は、時に、
無症状のコロナもあるというのに、
「もしかしたら自分がうつしてしまうかもしれない」という、
他を思いやる大切な感覚をも消し去ってしまうことだってありそうです。
あんなこと、こんなことを、あれこれ考えてみた時、
うまく言えませんが、
コロナウィルスというものに人の心が試されているような…、
そんな感覚にすらなってしまうのです。
一方、国の施策としての感染症対策とGo-to、
アクセルとブレーキ併用のとっても難しい舵取りなのだと思いますが、
一度決めたことだからと言って、
アクセルの踏みっぱなしだったり、ブレーキのタイミングを見誤ると、
国全体が取り返しのつかないことになるような、そんな気がしてならないのです。
個人の意識のこと、
そして、
国の施策のこと。
目の前の感染状況をしっかりと見つめながら、
この二つがうまく絡み合った時、
もしかしたら、「克服」に向けた光が見えてくるのかもしれませんね。
まだまだ長い闘いにはなりそうですけど…。
(つぶやき)
誰かと話す時、「コロナが落ち着いたらね。」という言葉がいつも口から出てしまいます。辛抱は辛い。けれど、今は我慢だな!と、日々、自分に言い聞かせています。
子どもたちのことや学校のことがどうしても気になってしまいますが、どんなことでも、社会全体が安定していないのに学校だけが安定しているということは絶対にあり得ない訳で、そういう意味からも一日も早く社会全体が…と願ってしまいます。