今日の日曜日、
岩手内陸から宮城県内に車を走らせ、
栗原市→新しく開通した宮城県北道路(初走行)→登米→(三陸道)南三陸→気仙沼と車を走らせ、
途中、いくつかの道の駅にも立ち寄り、
夕方、帰宅したところです。
間もなくまた3.11がやってくることもあり、
どこかマスコミも震災関連の話題でざわざわし出しているのですが、
津波で被害を受けたエリアや町を通りながら、
11年という年月の長短や町の変遷、
これまでの人の心の移ろいのようなことを考えておりました。
今見える町の姿は、当時とは全く違っており、
道路も含めてエリア全体が綺麗に整備されています。
多くの人たちのお陰です。
ふと、
そこに暮らす人の心はどうなんだろう?と考えた時、
もしかしたら
深い悲しみに年月の経過は関係ないのかもしれない…と、
そんなことも思います。
11年前、
大きな津波により
町全体が破壊され、消失し、
多くの人たちが命を失くしました。
別な言い方をすれば、
多くの人たちが大切な家族の命を奪われたという現実。
最近は、
毎日毎日、あの国のことが気になり、
ネットニュースやツイッターを見てしまう自分。
今、正に、人の手で、街が破壊され続けおり、
今、正に、人の手で、大切な家族の命が奪われ続けているという現実。
起きてはならないこと、
人の手で起こしてはいけないことだと、
強く思うのです。
侵略や戦争は、いつかは終わるのかもしれません。
そして、破壊された町も、
長い年月をかけていつか綺麗に整備されるのかもしれません。
ですが、
もう決して戻ってこないものがあり、
人の心には一生深い悲しみが残り続ける。
人の手で、こんなことを起こしては
絶対にいけないのです。
「方法」が
決定的に見違っています。