今日は、県内公立高校の入試日。
多くの中3生徒諸君が、
必死に試験問題と向き合ったはずです。
それぞれの子の夢が叶えられますように…と、
コロナ禍で不自由な学校生活を送ったであろうことを想像しつつ、
そんなことを願ってしまいます。
学校生活とか入試とか、
こういった教育の営みが行われることは
ごくごく普通のことと思ってしまいますが、
昨今の世界情勢を鑑みた時、
それはあたりまえではないのだと、
認識を新たにしてしまいます。
「教育という営み」が成り立つには、
子どもにとっても大人にとっても、
最低限の生活基盤が必要。
これは、東日本大震災を体験した際、
教育に携わる者として大きな無力感に苛まれながらも感じたことであります。
最低限の基盤とは、
・ 生命が守られていること。
・ 安全が確保されていること。
・ 最低限の衣・食・住がそこにあること。
逆説的に言えば、
生命の危険が常にあり、
いつも不安に怯え、
食べるもの、着るもの、安心できる時間と空間がない。
そういった状態下では、
「教育」という営みは成り立ち得ないのではないかということ。
今、正に、ウクライナの子どもたちが置かれている状況なのだと思います。
上記のようなことに加え、
生命を脅かされた恐怖体験だったり、
親や家族を突然失うという喪失体験は、
間違いなく子どもの心に
生涯続く大きな影を落としてもいくはず。
改めて、「平和な日本」を実感します。
今は亡き大橋巨泉さんが2012年に語った言葉らしいのですが、
「戦争とは、爺さんが始めておっさんが命令し若者たちが死んでいくもの」
こんな言葉が、今、重く心に響きます。
爺さんやおっさん若者たちばかりではなく
子どもたちにも大きな負の影響を与え続ける
人が起こす「戦争」。
窓から見える夕景の光の中に春の香りを感じますが、
あの国の人たちに、子どもたちの心に、
一日も早く、
春が訪れることを願ってやみません。