朝日の中、
一階和室の大きなサッシ戸を開け、
畳に寝転び、新聞を広げる。
すると、遠くから子どもの話し声が徐々に近づいてくる。
その後、低いフェンス越しに、
「あっ、いたいた。KG、おはよ〜!」の声。
そうなんです。
登校途中の1号と2号なのです。
その後、30秒程の短い時間なのですが、
あの子たちはフェンスに腕を置き、
あーでもないこーでもないと、
学校であったこと、スポ少のこと、アイスクリームのことなどなど、
まるで早送り再生のようにそれぞれがそれぞれ話し出す。
勿論、私は、寝転んだまま。笑
聖徳太子は一度に十人の話を聞くことができたようですが、
私は、二人でも無理。笑
「今日もがんばってこいなぁ〜。」
「気をつけて行けよ〜。」
と、彼らを見送ります。
勿論、私は、寝転んだまま。笑
これが、私の朝の日常。
どうってことのない、
平凡な時間、出来事なのですが、
こういった平凡なことに、幸せを感じます。
幸せは、「状況ではなく、感じ方なのだ」と
何かの本で読んだ記憶がありますが、
年齢を重ねれば重ねるほど、そんなことを実感します。
我欲はキリがなく、物欲、煩悩もまた際限がないものとは思いますが、
「幸せは感じ方」
そんな生き方もまた素敵かもしれません。
(つぶやき)
11月に高知県にお邪魔する関係で、最近、先方の市役所の担当の方から頻繁に連絡が入ります。総務係ということできっとお若い職員の方かとは思うのですが、この方の対応が、それはそれは配慮に溢れ懇切丁寧なのです。こういったことにも、偶然ではあるにせよありがたい人と出会わせていただいたなぁ…と感じるのです。なんか、、煩悩まみれの私がこんな仙人のような感覚や物言い、、ちょっとヤバイかも。。お迎えが近いから?と、そんなことも脳裏をよぎります。笑
一週間後、この地を県内の中学生が訪れます。今度やってくるのは中3の子どもたち。ちょっと深めな話ができそうであり、目下、PCに向き合いつつその準備をしているところです。こういったこともまた「出会い」。誠心誠意向き合います。