♯その日の気分

♪ お気楽・徒然・心のままに ♪

1.11 「能登は優しや土までも」

 

能登は優しや土までも」

 

こんな言葉があることを、

現地取材のNHKのアナウンサーが言っておりました。

 

こんな人たちだからこそ、

・我慢する。

・違いに助け合う。

・全てのことにありがとう。お陰様。

・助けてと簡単には声を上げない。

のだと思います。

 

それは、

ここ三陸に住む人たちも同様でありましたし、

もしかしたら、

日本の「田舎」と呼ばれる地域に住んでいる人たち皆に共通する

そんな感覚なのかもしれません。

 

能登半島地震発災から今日で10日目。

悲しいかな、人命の救出という局面から

現在は、被災者支援、救済というフェーズに入っているように思いますが、

そんな中、

自衛隊の人たちの必死の支援活動や全国の支援の渦の広まりを感じ、

どこか安堵しながらも、

12年前のことをどうしても思い出してしまいます。

 

当時の発災から10日後頃の避難所。

・学校体育館が避難所となり多くの人でごった返していた。

掲示板のようなものに安否不明者への呼びかけやメッセージが数多く貼られる(情報)

・自然発生的に避難所を運営する人たちが現れ全体をまとめ出す(運営)

・衣食の支援物資がどんどん届き出す。仕分けや分配作業も発生(衣食防寒)

・中高生も率先してそのお手伝い(涙出そうになる)

・学校の家庭科室を使い寿司屋の大将が中心となり簡単な賄いを用意し出す(食)

・多くの炊き出しにお世話になる(食)

・体育館にTVも設置され、被災地や支援の情報に目を凝らす(情報)

・携帯が不通の為、NTTが用意した緊急電話も設置される(情報)

・全国から医者、保健師さんが参集しその拠点となる(医療・ケア)

・学校避難所となっていたこともあり教職員は疲弊。学校に寝泊まり(疲弊)

・被災した人が他の被災者を支援するという構図が続く(疲弊)

・内陸からこの町に続く道路は渋滞かなりの(アクセス)

ざっと書き出せば、こんな感じだったように思います。

今、正に、能登半島の多くの避難所では同様の状況になっているのでは…。

 

ですが、これは大規模避難所のこと。

道路も寸断されている小さな集落では、更に厳しい現実に直面しているようにも感じます。

 

・あんなにも巨大な地震で、志賀原発はどうなっているのだろう?

・人、物資輸送等、「空」の活用は進んでいるのだろうか?

・孤立避難所は全て把握できているのだろうか?

と、限られた情報の中で、ただただ心配することばかりであります。

 

これから、

・学校再開に向けた準備、調整、緊急的措置(多くのクリア課題予想)

・子どもたちの心のケア、親のケア、先生方のケア。などなど、

多くの困難を抱えながら取り組まなければならないことが山積。

 

能登は優しや土までも」

 

こんな人が暮らす地域だからこそ、

声をあげにくい人たちだからこそ、

それぞれの「現場の温度」を感じながら、

きめ細やかでスピード感ある包括的な対策・支援であってくれたらと、

心から願います。

 

能登の皆さん、がんばってください。

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(写真は西日本新聞社より)