今日も一日が暮れていきます。
苛々した気持ちで過ごしても一日、
穏やかな気持ちで過ごしても同じ一日、
どうせ過ごすなら、後者のようでありたいものですね。
今日は図らずも孫たちとのデートの一日。
そんな今日をキーワード的に言葉を羅列すれば、
ドライブ、青空、バッティングセンター、空振り、ファミレス、ランチ、大盛りフライドポテト、ドリンクバー、デザート(チョコパフェ)、完食、満腹、笑顔、会話、ありがとう、100均、本屋、図書カード、31アイス持ち帰り、紅葉、夕陽、遠くに見える海、そして、マスク、アルコール消毒三昧 etc.
どんな一日だったのか想像できますでしょうか?笑
食べるとか、何かをするということ以上に楽しかったこと、
それは、ずっと流れ続け溢れる会話の数々。
あの子たちの心の中が丸々見えるようでありました。
そんな時、ふと自分自身で気がついたこと、
それは、指示語、確認語、急かし語のなさ。
「○○しなさい」とか、
「○○した?」とか、
「早くしなさい」といった類の言葉。
甘やかすとかそういうことではなく、
穏やかに彼らを見つめると言いますか、
自分の感情優先ではなく相手の気持ち丸包みとでもいいましょうか、
祖父母ならではの感覚なのだと思います。
今日も一日が穏やかに暮れていきます。
あの子たちにとっても、
今日の日が、よき一日であってくれたら嬉しく思います。
(つぶやき)
教育の世界では、子どもと向き合う際、「共感」とか「寄り添う」「傾聴」といった言葉をよく使います。過日、昨年度の全国小中学校での不登校の人数が発表されましたが、全国で24万5千人の子が不登校になっているようであり、更に驚くことは、10年前と比較し、小学生は3.6倍、中学生は1.7倍に増え、特に中学生は20人に1人が不登校という状況のようであります。学校だけではなく、家庭においても、「共感」や「心への寄り添い」といったことが今後益々大切になってくるような気がしています。これ全て、まずは相手の心を受け止めようとするスタンスから、そして、見えないものを見ようとする心から始まります。