「話す」と「伝わる」は、全くの別もの。
「話す」→ 自分視点のみ
「伝わる」→ 自分と相手の双方視点
こんなことを、
長い教員生活の中、
そこで出会った多くの子どもたちから
教わったような気がします。
「伝わる」には、
相手の心の作用が含まれます。
「伝わる」と、
相手の心に、何かしらの化学変化のようなものが起き、
瞳とその後の行動に変化が表れます。
逆に、
あれも大事、これも大事と思うあまり、
あれこれ多くを「話した」ところで、
相手の心に届かなければ(伝わらなければ)、
こちらの思いと言葉は水泡に帰してしまうばかりか、
伝わらないことに苛立ちすら覚え、
挙げ句の果てには、
伝わらないのは子どもが悪い!などという、
そんな残念な意識になることもあるのかもしれません。
(上記のようなことは、先生と子どもの関係だけではなく、上司と部下の関係でも言えることですよね。)
明日、
多くの中学生たちと時間を共にします。
どうすれば伝わるのだろう…。
どうすれば伝えられるのだろう…。
昨日から、
そんなことの
堂々巡りばかりをしている自分です。
(つぶやき)
還暦を過ぎた私がこんなことを言うことに少々の抵抗はありますが、この「話す」≠「伝わる」ということ、恋愛でも言えることではないでしょうか?相手から、綺麗な言葉を並べたてられても、何も伝わらない。時に、嘘くさっ!と思ったり、逆に、木訥とした言葉でも、とても伝わるものがあったり。何事においても「伝わる」「伝える」って大事なのかもしれませんね。
明日の講演、もし時間が残ればこの曲の弾き語りをするのです。ここをご覧の皆さんに、先行して。(この曲がとっても好きで、どこの講演に出かけてもこれをラストに歌うのです。)
「いのちの歌」